チイリイサイ
(「和の伝統文化に学ぶ会」会報『いろりばた 第4号』より転載)
さて、旧暦四、五、六月のこと。
今回は、『江戸府内絵本風俗往来』の記事を、誌面の許す限り多く取り上げたい。
ちなみに、旧暦四月一日から六月末日までは、今年なら新暦の五月十九日から八月十五日までの期間にあたる。
「四月 桐、棗(なつめ)、杏などが花をつけるころ、雨が続くことがある。これを迎梅雨(むかえづゆ)という。一日に衣替えをして、そこから五月四日まで袷を着る。また九月八日まで足袋をはかない。・・・」
「四月の売物 荷い売りの魚屋は、初鰹を季節の売り物としたのは、故人の句にあるとおり、新鮮な鰹を厚切りの刺身に作り、本場の山葵(わさび)に本場の醤油でもって江戸っ子の腹を肥やした。・・・」江戸っ子の初鰹は、生姜ではなく山葵だったようだ。
「当時の初鰹の本場ものは鎌倉。馬の背で運んだものを、八尾ずつ一株として売買した。四月初旬、一尾が四、五百匁(一五〇〇から一八七五グラム)という大きさを珍重した。」
「時鳥 ホトトギスは小石川辺り、高田馬場、駿河台辺り。立夏より三日目頃初声を聞く。・・・風流文雅の士はホトトギスを待ち兼ねた。・・・」
五月に移って、
「端午 五月五日は端午の御祝儀なので、諸侯から将軍へ粽(ちまき)の献上があった。この日から武家方の礼服は帷子(かたびら)となる。民間においては単衣(ひとえもの)を着る。・・・職人は全て節句休みを取る。男女とも子どもは武家町人おしなべて清潔な衣服を着て各々師のもとへ祝賀を述べに行く。・・・武家方大奥では、絹縮緬や絹糸で作った薬玉(くすだま)というものをいろいろなところに吊る。薬玉の中ににおいのいい薬品を籠めてあるので、ゆかしい匂いが風のまにまに吹き送られる。・・・」
「蛍 蛍の名所は落合姿見橋の辺り、王子、谷中蛍沢、目白下、江戸川のほとり、麻布、古川、本所辺りである。・・・日暮れから男女の別なく児童らを引き連れて、長竿の穂先へ竹の葉を結わい付け、あるいは団扇、あるいは紙袋などをつけ、飛び回る蛍を捕らえようと、田の畔、小川の岸辺を追って走るので、足を踏みそこねて池沼に落ちるなどということが、蛍狩りには往々にしてあることだった。」
「梅雨 梅雨になると間もなく、梅干の梅の実を売りに来る声が市中に響く。・・・」
「柳橋芸妓煙火を避く 当時江戸芸妓の随一は吉原とされた。吉原芸妓に次ぐものが柳橋であった。毎年両国川開きの花火打ち上げの当夜は、柳橋の芸妓は川開き客を嫌って場末に行ってしまった・・・。これを芸妓売り切れと言って断った。その実は売り切れたのではない。川開き客は柳橋芸妓の嫌うところであった。この日は芸妓たちは素人のような身なりをして、根岸の鶯春亭などに遊び、静かな涼風に身をおいてのどかな時間を楽しんだ。これを、柳橋芸妓の見識だと、当時の粋人はことさらに褒めたものだ。」
「金魚売 金魚は高価なものは限りがなく、王侯貴人のお道楽の対象になるものは、言うまでもなく別物である。桶を荷い市中に売り歩き、または縁日に出されるものは、ただ子どもの遊びにとどまるのみ。この商人、毎年夏の初めから秋の初めにおよぶ。売り声の「めだかァ、金魚ゥー」の節は、どこか暑さを洗うように聞こえたものだ。」
「風鈴売 荷箱に糸を立て筵の日よけ屋根を覆い、箱の周りにさまざまな風鈴を美しく釣り、いたって静かに歩きつつ売る。風鈴は風に誘われ極めて涼しげな音色を送るので、呼び声はない。ただ台風の時は出て来ない。」
金魚売や風鈴売は、私の子どもの頃(昭和三十年代初め)まで東京下町には現れた。懐かしい思い出だ。ついでだが、
軒の風鈴お庭の池に
うつりゃ金魚が尾で鳴らす
私の母方の祖父の作った都々逸。新聞のコンクールに入選したそうだ。
さて、六月。数々の子ども遊びが紹介されている。
「じゃん拳 男女とも連れ立って遊ぶときには必ずじゃんけんということをして、その役を定める。右の手を握り、「チイ、リイ、サイ」と言いながら三度振って指を開く。」とある。私は、「チイ、リイ、サイ」という掛け声を聞いたことがない。皆さんはどうであろう。
次の子ども遊びが紹介されている。項目だけ記す。「子をとろ子とろ」、「お山のお山のおこんさん」、「蓮華の花は開いた」、「鬼ごっこ」、「芋虫ころころ」。
六月の記事は実に多い。と言ったところで誌面が尽きた。続きは来年書ければ。
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最終更新日 : 平成十六年四月十一日