初午祭の謎
(「和の伝統文化に学ぶ会」会報『いろりばた 第7号』より転載)
05/2/19
旧暦の二月、今年の新暦では三月十日から四月八日である。
『風俗往来』の二月の部は次の一節で始まる。
「きさらぎの空麗らかにして、雪どけの草緑の色を発し、梅の林間に初午祭の幟見え、程なく彼岸詣より涅槃会の供養。この月は幸い工商とも手隙の折とて、野外の摘草、鶯花序を歌い、燕春光を剪る。当月の朔日、日光御鏡頂戴の公事より二日灸の私事なんどなりとす。」
蘆の葉散人こと菊池先生の筆はいよいよ滑らかだ。早春の爽やかな空気感が漲っている。「燕春光を剪る」など、読めばたちまち晴れやかな心持になる。
ここしばらく燕の姿を目にした記憶が無い。遠い子どもの頃、近所の辻を、あるいは軒を掠め、あるいは地を滑るように飛びすぎる燕を見ると胸が躍ったものだ。それはまさに虚空を切るように見えた。
鶯の声は今でもたまに町なかで聞くことがあるが、あれは飼われているものか。いつか房総の谷間で不意に響き渡った鶯韻の艶やかさには一瞬我を忘れた。あれほど澄明でなお大気を包み込むように奥行きのある音楽に出会ったことは無い。
「日光御鏡頂戴の公事」とは何か、調べたが分からない。「二日灸」とは、旧暦の八月二日と二月二日にすえる灸のことで、これをすえれば一年中無病息災と言われた。
初午についてはかなり詳しい説明が続く。
「初午は二月初めの午の日なり。されども稲荷祭は二の午、三の午の日にも執行あり。ただ初午を多しとす。当日は、武家屋敷、社地は更なり、寺院中に安置ある稲荷社、町方の裏家の奥なる一小社に至るまで、祭礼の執行あり。」
「江戸町中稲荷社のあらぬ所はなく」との記述も見える。実際その通りで、ありふれたものの形容として「伊勢屋、稲荷に犬の糞」という言葉があったほどだ。
数多い稲荷神社の中でも「王子稲荷、あるいは妻恋稲荷、さては芝の烏森稲荷等は、江戸屈指の初午祭なり」とあり、それらにおいては前日から太鼓の音が江戸中に満ちて「湧くが如し」とある。
また特に珍しい見世物として芝日影町の日比谷稲荷の例を紹介している。
「・・・日比谷稲荷は燈籠の思考に名高し。酒樽及び水瓶の如き重き巨大なる物品を応用して画を製す。紙一枚に樽または水瓶等をつり付けて、そのしかけを見せず。また画のよく器物に応用したるを見物せんと、人出多し。」とは、ハテどんなものなのか。甚だ好奇心に刈られる。と思って次の項へ読み進むと、初午の一般的な祭り方としてこんなことが書いてある。
「まず裏長屋の入口、露地、木戸外は染幟一対を左右に立て、木戸の屋根へ武者を描きし大行燈をつる。露地の両側なる長屋より表家の戸々に地口画田楽燈籠をかかぐ。」
さてこの記述を得て日比谷稲荷のなぞに応用すれば、どう解けるか。わが卓越した推理力と奔放な想像力を総動員してたどり着いた答えは次のようなものだ。
まず初午祭には、大小を問わずすべての稲荷神社およびその周辺で武者絵をはじめ絵や字を描きつけた行燈をつるすことがならわしであった。祭礼、縁日などに路傍に立てる地口行灯というものがある。これは、地口を書いた行灯で、多くは絵が描き添えてあった。以上は私の像象ではなくて事実。
因みに「地口」とは、「世にありふれた成語と語路の合う文句を作って、これを両様に聞きとらせるしゃれ。たとえば、「南無大師遍照金剛」という経文の句について「飲む大酒三升五ン合」という類。江戸時代に流行した。」(三省堂新国語中辞典)落語の落ちの一種に地口落ちというのがある。京阪では「口合(くちあい)」と言った。
先の記事中「地口画田楽燈籠」とあるのは、地口やその挿絵、また、田楽踊りの光景が描かれた行灯のことではないか。
毎年の初午には、大きな稲荷神社ではきっと特別に作られた巨大な行燈が吊るされたことだろう。そこには地口や様々な画が描かれていただろう。行燈のほかにも武者画ほか絵の描かれた垂れ幕や幟など、大きなものがつるされたり立てられたりしていたに違いない。名高い稲荷神社の間ではそのデザインの奇抜さや大きさが競われるようになったと思われる。
そして、そのなかで一際注目を集めたのがかの日比谷神社の画だったのだ。それははるか高いところからつるされた巨大な一枚の紙に描かれていた。その絵の描写もまた際立っていたが、物見高い江戸の人々の度肝を抜いたのはその大きさでも画の迫力でもなかった。その巨大な一枚の紙の下辺には錘として大きな水瓶がつるされていたのだ。誰がどこから見てもその重さを支えているものは一枚の紙以外に見つけることができなかった。この不思議な垂れ幕を一目見ようと大勢の参拝者が押し寄せた。というわけ。
さて、果たしてこの推理、当たっているかいないか。
また、この年頭のあてずっぽうの当否、筆者の今年の運勢を占う試金石になるかならぬか。
そう言えば、鎌倉鶴岡八幡宮で引いた今年のおみくじは第四十八番の大吉。曰く、「白雲に 羽うちつけてとぶ鶴の 遥かにひろき世の見ゆる哉」と。なんともめでたい。
読者諸姉諸兄に幸多きことを。
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最終更新日 : 平成十六年十月十七日