冬夜の三味線
(「和の伝統文化に学ぶ会」会報『いろりばた 第6号』より転載)
04/10/14
旧暦十月から十二月は今年の新暦では十一月十二日から翌年二月の八日までに当たる。
今年の夏は天候不順で、秋も行きつ戻りつが激しく、うっかりいよいよ秋ですねなどと挨拶すると、翌日同じ相手に再び遭遇して、汗滴らせながら挨拶に窮するということがあった。
さて、冬はまともな冬になるのだろうか。
さらに、今年だけのことなのかどうか。テレビでしばしば解説されるように地球温暖化の一環か。温暖化かどうかはともかく、気候がどうかなってきたというのは体感としては正しい。
温帯モンスーン気候区に南北に伸びるわが日本列島の文化は、四季画然としたその天候に育まれたとは定説だが、であれば、今後天候の乱れがさらに進めばこの文化的混乱も増幅されるのだろうか。
あるいはすでにその混乱は度を越していて、多少の自然環境の変化などにはもはや感応しないのかもしれない。
そんなことを思いながら『江戸風俗往来』十月の部のページをめくっていると、『冬夜の三味線』というなにやら情趣ある題名に目が留まった。
「武家地は元より町中にても、大通りと呼べる場所、本町、石町、大伝馬町の如き彼方は、筋違御門内より大通り南京橋に至る迄の両側の商店に音曲鳴物の音色の響くは、山王、神田の両祭の時のみ。その他は年中決して琴、三味線の聞こゆること絶えてなし。」以下拙訳。「ならば、この辺の商店は子女に遊芸を習わせることがないのかと言えば決してそうではない。琴、三味線は勿論、日本舞踊、笛、太鼓までも習わせることが非常に盛んで、したがって、それにかける費用も大変なものである。しかし世間に知られないように、また奥座敷も手広く、土蔵と土蔵が立ち囲んだ場所を選んで、店先に聞こえないように稽古をしているのだ。この他、横町新道のようなところにいたっては、夜の長いこの頃、三味線の音の聞こえないところはなかったものだ。」
私の母がたの亡き祖母は明治の生まれだが、子どもの頃やはり三味線を習わされたそうだ。本人は稽古が嫌でたまらなかった。しかし、男の楽器である一弦琴には憬れて、ぜひ弾いてみたいと思っていたそうだ。
その夫、私の祖父が作った都都逸が新聞のコンテストに入賞した話はすでにこのシリーズに書いた。
私が子どものころ、母はよく台所で鼻歌を歌ったが、たまにそこにはさのさや都都逸が混じった。
九尺二間に過ぎたるものは
紅の付いたる火吹き竹
私も口移しに覚えたこの都都逸は、祖母が母に教えた唯一の都都逸だったという。
「お前もいつか宴会の席などで都都逸の一つも歌わされることがあるかもしれない。これなら、若い女が歌ってもいいきれいな都都逸だからね。」そう言って教えてくれたそうだ。
なんと江戸の文化レベルの高いことは今日の東京の比ではない。
一人当たりGDPで測ったら途轍もない豊かさを獲得している大東京都民の生活の味気なさはどうだ。
冬の夜、底冷えのする暗い住居で震えることはなくなったものの、月下家路に急ぐとき、切るような夜風に乗って聞こえる三味線の音に思わず常磐津を口ずさむなどという生活はもう決してない。
煌々と街灯照らすアスファルトの道の途中、どこの国のものとも知れぬヘンチクリンなデザインの住宅から聞こえる「エリーゼのために」にどれほどの情緒が含まれているものか。
やはりこの国の文化荒廃は、摂氏一、二度の温暖化のせいにできる性質のものではない。
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最終更新日 : 平成十六年十月十七日