「父性」とは何か。
ぼくが「父性」と言う時には、いくつかのキーワードを頭においています。それは、「自律」または「自立」、「克己」、「一貫性」、「規範」、「統治」です。
まず、自律と自立とはその意味内容のかなりの部分が重なるということは言うまでもないことでしょう。なぜなら、自己を律するということは、すなわち自己が律すること、つまり、自分以外の何かによって律せられるのではなく、この自分が律するということですから、自己というものが、何者にも支えられずに立っていることが必要になります。すなわち自立していることが。
これが、父性の大きな要素であると考えます。
ところが、自律するということは、何からなにまで自分に忠実に従うということではない。その場の感情に従って自分が日ごろ考えたり表明したりしている主義主張に反する行動をとった場合は、もちろん自律に成功したのではなく、失敗したのです。また、そもそも自己の主義主張を状況によって左右する人には自律など有り得ない。
ということは、自律とは、単に自己に従うということではなく、自己の弱さに勝つということですし、また、一貫した主義、規則性に自己を従わせるということになります。
いったい自己とは何か。自己とは、他のもの一切から独立して存在することが可能なのか。「個人の相対性理論」なるものが成り立つのではないか。
97/09/16
父性の基本には自律ないし自立が有るということ、また、これは、他者に従うのではないのと同時に、自分の立てた主義主張、規則、原理に自分を従わせることだということを述べました。そしてだから、一貫性がなければならないわけです。
なぜこれが、父性なのかというと、この性質が、家族をまとめ、導いて行くという父の特性にほかならないと思うからです。ほかではなく自分に従わせるということ、そして、よく従わせ、よくまとめるためには、一貫した理念、基準、原理を家族に指し示して、自らも率先してその原理に従うことが必要です。
これを社会、共同体のレベルに適用すれば、そのまま「統治」の原理となります。統治されるのではなく統治することの原理です。
さて、それに対して、母性の本質は、我が子ないし弱者に対する無条件のいたわりの気持ちでしょう。瞬間瞬間の強い愛情。言い換えれば、「前後の見境のない」愛情と言ってもいいかもしれない。
ともかく「今」、この子を「なんとしても」守ってやらなくてはならないという強い衝動。だから、そこには一貫性とか原理原則とか、基準とか規則性などというものが介在する余地は有りません。これももちろん人間にとって非常に尊い特性です。
子に対する母性を、そのまま、世間の弱者に向ければ、これは人類愛の核になる特性ですし、福祉の思想の原点でも有ります。
97/09/17
というわけで、母性の欠如した父性は、冷酷な戦略家を生むでしょうし、逆に、母性ばかりで、父性を欠く人は、優しいでしょうが、大きな事業を経営することに不得意でしょう。最も悪いのは、勿論、両者ともに持ちあわせない人です。意地が悪い上に場当たり的な言い訳ばかりするでしょう。世間のやっかいもの以外の何者でもない。
また、問題やジレンマに直面した時の両者の態度の違いを考えてみると、いっそう興味深い結論が得られます。
父性はジレンマに直面すると、今の痛みをあまんじて受けても、より根本的、長期的、全体的、包括的な解決策のほうを選択するでしょう。これに対し、母性のほうは、根本的解決策より、直接的な痛みや摩擦の除去を優先するに違い有りません。なぜなら自己愛もまた母性の産物だからです。
さて、ここまで来ればもう準備も万全です。ようやく、日本という溶液にリトマス試験紙を突っ込んでみる時が来ました。
テロリストに国民を人質に取られると、「人名は地球より重い」などと言って要求を受け入れる。・・・判定:「母」
自分の会社の違法行為に巻き込まれそうになると、法を優先して正そうとするのではなく、上司や同僚との摩擦を嫌い加担する。・・・判定:「母」
より具体的には、総会屋への利益供与。・・・判定:「母」
憲法の条文に問題が有ると認識した時、改正ではなく、より摩擦の少ない解釈の変更で乗り切る。・・・判定:「母」
役人が法律そのものではなく行政指導などの法律の運用で国民を縛ろうとする。(自らを律するものを拒絶する。)・・・判定:「母」
必要な改革を先送りし、湖塗、弥縫を繰り返す。・・・判定:「母」
紛争はまず金で解決しようとする。・・・判定:「母」
外交政策はまず相手や周りの国の顔色を見て決めようとする。・・・判定:「母」
きりがないので、この辺で止めておきます。
かくて、日本の社会が母性過多父性欠如の状態に有ることが、いやというほど明らかにされました。
では次は、なぜ日本がそうなっちゃったのかという議論に移らなければなりません。しかし、これが一番難しい部分。一筋縄では行かない。
先日、文芸春秋で読んだのですが、河合隼雄によれば、日本には、戦国時代を除けば、父性が存在したことがないそうです。
これは本当かしらと考えてみました。
97/09/22
福沢諭吉は生涯を掛けて独立自尊を訴えました。はじめは個人のレベルで、後には多く国家のレベルで。そしてその原理に従って生きたと思います。小村寿太郎は日英同盟で日本をロシアからまもり、さらに不平等条約の改正に導くという見事な戦略を成功させました。こういう人たちは身を持って父性を示した好例ではないでしょうか。
やはり明治時代は、自力で国を外敵から守らねばならないというせっぱ詰まった状況の中で、父性を最大限活用しなければ生きていけない時代だったと言っていいでしょう。
と思うのですが、河合さんはどう見ているのでしょう。
最終更新日 : 平成十五年十月十一日