学校


96/12/01

多くの場合学校教育が受験を目標に行われている、それが大きな問題であるとよく言われます。しかしその一方でこれと一見対立するような現象も見られます。そして両者が相まってますます受験技術偏重のゆがんだ学校教育を強化しているように私には見えます。

私の仕事の都合で家族は3年近くロンドンに住んでいたことがあります。長男は5才から7才にかけて現地の学校に通いました。イギリスでは中流以上の家庭の子弟は私立の学校に通うのが一般的です。公立の学校は教育の質が私立に比べて歴然と低いというのが常識化しています。この善し悪しは大いに議論の有るところです。

さて、私たちが帰国したのは息子が小学2年生になる直前の3月でした。私たち夫婦は彼が受けたイギリスの学校教育に非常に満足していました。日本では、家のすぐ近くの区立小学校に入学させました。息子はすぐに学校に馴染みました。楽しそうでした。

しばらくすると息子の変化に気が付きました。

息子に起こった変化というのは声です。日本の学校へ行くようになってから見る見る声がかすれてきたのです。

原因を探ってみると、学校でほとんどのべつ大声を張り上げているらしいのです。

しばらくして授業参観に出てみました。授業の様子はよく言えば活発で明るい、悪くいえば無秩序で騒々しいのです。先生が質問すると子供達が先を争って手を挙げます。ハイハイ、センセーと大声で叫び合います。一人の生徒が指されて答えます。すると他の子が、チガウヨとかバカデーとか叫んで、また皆でハイハイとやるのです。

私は驚きました。後ろにはずらーっと父兄が立って見ています。自分の子供の頃との余りの違いに驚いたのです。昔は授業参観の時に生徒は普段よりずっとおとなしくしていたものです。普段の授業でもあんなに騒がしいことはなかった。あんなに騒ぐ前に先生にしかられました。

イギリスの学校では、授業中に私語をすると先生に怒られるけど、日本では殆ど怒られないと息子も言います。

日本の子供はおとなしく権威に従順で礼儀正しく感情を表すことが少なく自分を表現することに極端に控えめだ、というようなことは今では殆ど神話に属します。かつてそのようなことがあまりに強調され過ぎたために、その反動で、日本の公立学校では、自由、積極性、自己表現といった目標をかなり無節操に強調しすぎたのではないか、というのが私の感想です。明るければいい、楽しければいいのです。授業の秩序など二の次なのです。

つい数ヶ月前、久しぶりに下の子の授業参観に出てみました。四年生です。ホームルームの時間で、子供会の計画を話し合っていました。これもメチャメチャでした。みんなで言いたいことの言い放題で、席にじっと座っていない子すらいました。先生もたまに注意するだけです。自主性に任せているとでも言いたげです。後で娘に聞くと、普段はもっと凄いのだそうです。学年が上がるにつれてひどくなって来たとのことです。

また、先生の中には子供に対し、非常に乱暴な言葉を使う先生がいます。極端な場合、バカヤロー、コノヤロー、テメーラなどという言葉を使う先生もいます。

私はよく言われる日本の知識偏重教育に以前から反対です。創造的な教育を子供に与えたい。しかし同時に自制心、謙虚な気持ち、道徳心、礼儀作法も身につけて欲しいと思っています。そう思うと公立学校でいいのだろうかという疑問が沸いてくるのです。そのように考えたのは、家内の方が先でした。私は、それは心配しすぎだろうと言っていましたが、上記のような様子を見るに付け意見が変わってきました。

家内の話では、同じような考えから私立を受験させようと考えている親は多いとのことでした。私も、同じような年頃の子供を持つ友人と話をしてみましたが、皆、似たようなことを考えています。つまり、学力、学歴主義以外の理由で受験を考える親はかなり多いということです。

しかし、そういう親にとって大きなジレンマが待ちかまえています。即ち、知識を詰め込み、受験技術を磨かなければ、良い学校、つまり学力以外でも質の高い教育を受けられる学校に入れないのです。

このジレンマを解決するようなシステムは出来ないものでしょうか。いま多くの小学生が塾に通っているわけで、その費用を全部集めたら大変な額になるでしょう。いっそのこと、そのカネを親たちが持ち寄って、良い学校をいくつも建てた方が早いのではとも思います。

というわけで、最初の話に戻りますと、何はなくとも学歴だ学力だという風潮が有る一方、公立学校では、明るく楽しい自己表現が一番という強迫観念が粗野な教育を蔓延させているため、ますます多くの親たちが私立目指して子供を受験に駆り立てるという悪循環が有るのです。

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最終更新日 : 平成十五年二月二十日