首輪物語


ぼくは2度「ワンワン物語り」の映画を見た。最初は子供のとき。二度目は20代のときだ。

ずいぶん昔のことだから記憶違いかもしれないが、主人公で野良犬のトランプに対して、周囲の飼い犬たちが皆、自分の首輪を誇示するという場面があった。

「野良じゃない、ちゃんと飼い主がいるんだ。」というわけだ。

ぼくが学校を卒業して就職したころは、会社の徽章を襟に付けることが一般的な慣習だった。背広を変えるたびに、つまり毎日、これを付け替えなければならないので面倒でいやだった。よく忘れもした。

大会社の社員はたいていこの徽章を誇りにしていた。井桁だとか、ダイヤだとか。

時代が下るにつれ、若いサラリーマンの間にはこれを揶揄するものが増えてきた。ぼくもその一人だった。「どこの会社に属していようが、自分は自分だ。」というわけだ。

いまの社会の風潮からして、個人の自立を目指すバリバリのヤングエグゼクティブにおいてこの傾向がさらに徹底しているのは当然のことだ!大きな組織に属していることを見せびらかすなんてカッコいいことではない!!

だから絶対襟章なんかつけない。だいいち見た目にもダサい。

最近、オフィス街を歩いていると、多くのサラリーマンが二つの首輪をしているのに気づく。

ひとつは携帯電話。もうひとつはセキュリティーカードだ。首に下げなくてもよさそうなものだが、聞いてみると、いちいちポケットから出すのでは時間がかかるのだそうだ。

そうか、忙しい現代ビジネスマンは時間がないのだ。しかも忙しい。その上、時間がないのだ。

社内のいくつものドアを通るのにいちいちポケットを探ってなどいられるはずがない。どこにいても電話がかかってくる。用事ができたときに一秒でも早く携帯に手が届かなければ、競合他社に、あるいは同僚に、先を越されてしまうではないか。

もちろん、昼食に出るときでも、ポケットにしまい直すなどという手間をかけてはいられない。スパゲッティやラーメンを食べるとき、首の紐を一緒に口に入れそうになることなどかまってはいられないのだ。

それに、携帯について言えば、ただカバンやポケットに入れているだけでは、そこらへんの女子中学生と変わらないではないか。

そしてもちろん、携帯だけでは不十分だ。やはりセキュリティーカードも首に下げなくてはならない。なぜなら、せっかくちゃんと、エレベーターと、玄関ドアと、各部の入り口とトイレと休憩室のドアにセキュリティーの掛かった近代的かつ大きな会社で働いているのだから。

というわけで、彼らは、いつでもどこでも会社からの呼び出しに直ちに応じる忠誠心と、そのみかえりに得た、よそ者の入れない場所に入ることのできる特権、これらを証明する二つの札を首にぶら下げて歩いているのだ。

言うまでもなくそれは、忙しくて時間がないから自然にそうなっているのであって、断じて彼らの意図によるものではない。


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最終更新日 : 平成十五年十一月五日