先日高校の友人が急逝しました。一月前までメールのやり取りをしていました。世間ではよく「人はいつ死ぬかわからない」などと言いますが、そのとおりだと実感しました。私だって明日の命は知れない。改めて命のはかなさを思いました。
世俗的な感覚からは離れますが、私の属している合氣道では、天地の万物はみな一つにつながっているという考え方をします。もちろん人の命もです。そういう意味での霊魂不滅の考えもあります。
老荘の思想がやはりそんな考え方です。生死の間に対立はなく、したがって生きている者が死んでも自然のことと受け入れて大騒ぎしない。
ところが、後に老子にその思想的根拠を求める道教は、元々は古くからの民間信仰や神仙説を集大成したもので、命に執着し、不老長寿を追及します。穀物を断って霞を食うのが不老の極意だなどといいます。不老の秘薬なども求めたりする。
現代に置き換えても面白い。健康食品や栄養剤を毎日山ほど飲んだり、病気になるまでダイエットしたり、普段はエスカレーターを使うのに金を払ってジムに通って自転車モドキを漕いだりする。美容整形でしわを伸ばしたりするのもその延長と考えられます。
現代の健康志向、自然志向も、老荘型と道教型があるように思います。この二つは似ているようで実はまったく正反対のもの。自然を受け入れ自然に身をゆだねるか、自然を自分の意のままにコントロールしたいと考えるか。
人も寿命とともに死ぬのが一番いいのでしょう。
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最終更新日 : 平成十六年五月二日