何を改める?


03/10/11

問題を分析して、悪い因子を特定し、その因子を除去して、それによって問題を解決しようとするのは、いわゆる近代合理主義の一般的なアプローチだ。これを人間活動の万般に渡って徹底的に実施したのが20世紀だったと言える。この運動を主導してきたのがアメリカを先頭とする西洋だが、日本は、明治の開国と第二次世界大戦とその敗戦という歴史的経緯ゆえに、ある意味では西洋以上に激しくこの過程を進めざるをえなかった。

この近代合理主義的アプローチがいま行き詰っているのに加え、日本の場合にはあまり急いだためにこれを皮相的に実行した場面がたくさんあった。そこからいろいろな問題が生まれてしまったのだ。コミュニティーの崩壊ということでは、日本は先進国中最もひどい状態にあるかもしれない。アジアやアフリカもきっとひどいのだろう。日本中の景観の醜悪化もここからきている。これと表裏一体となっているのは、「官僚主義」という近代のもう一つの病だ。

個々の現象を個別的に扱うのではなく、「場」全体を治療しなければいけないという考え方が、その反省から必然的に出てきている。この話は世界的な思想の潮流にそったものだ。

エコロジーの思想がまさにそれだ。日本人の多くは「共生」という言葉を好む。「森の思想」という人もいる。「仏教の時代」だとか、いや「多神教」だとか。「漢方」の思想だとも。C.W.二コルは「多様性」がキーワードだという。日本の「里山」の暮らしの心だとも言える。散文的に「分析的なアプローチから統合的なアプローチへ」という人もいる。

思うに、近代以前はどこでも誰でもそれと似たような世界観を持っていたのだろう。「自然界との共存」、「コミュニティーの中での個人」は当たり前だった。

人が自然をコントロールできるという考え方と、個人は自由に生きられるといういう考え方は一体のものだ。つまり「神は死んだ」。ここから、個性尊重や個人の権利という概念の乱用が始まった。

乱暴に説明を省けば、これらが積もり積もって現在の「病んだ場」を作ってしまったのだろう。

最近、究極の言葉に出会った。それは、川口由一という自然農家の「妙なる畑に立ちて」という本に出てくる。真の先覚者がいかに偉大なものか思い知らされる。たとえば、「自然界が競争をその原理としているという自然淘汰の考えは間違いだ。」と言う。なぜなら「進化が進むにつれて種の数は減っていず、増えている。」と。私など、これだけで、もう、はっとしてしまう。

少し引用してみよう。

「真智は無差別智です。・・・分別智は妄智です。・・・世間智は邪智です。・・・この無差別智の働くところは、自他の別無きところ、時間、空間の未だ無きところ、生死、大小、遠近、彼私の未だなきところ、自分と他人に未だ分かれぬひとつの生命のところです。・・・今日、現代社会全体の大きな流れの中で指導的立場に居る人達の多くは、分別智の世界に住んでいます。・・・そうして現代社会全体の大きな生命は世間智、邪智の世界に落ち、・・・野菜を食べる虫を殺すのは妄智です。一方明かむれば一方暗し、野菜明かむれば虫にとって暗しです。・・・他にとって暗しはやがて必ず我にとっても暗しです。・・・がんウィルスを敵として抗がん剤、エックス線・・・を使って殺す現代医学は、分別智より出づる迷妄の医学です。・・・お米が病気になり虫におかされるのには原因があります。その原因を取り除かずして次々と農薬を開発して用います。・・・次々と新しい病害虫を招き、また果てしなく病気や虫と戦わねばなりません。・・・」

川口の実践する「自然農」は、耕さない。虫を殺さない。雑草を敵としない。有機肥料さえ施さない。馬鹿を言うなという一般の農業関係者の声を尻目に、彼の畑には多くの草や虫たちとともに豊かに野菜や米が実る。

普通の畑を観察してみよう。きれいに耕され、畝が出来、作物が並んでいる。作物だけが並んでいる。雑草も無く、虫もいない。鍬で掘り返され裸にされた土からは激しく水分が蒸発している。収穫のあと放っておけばカチカチに硬くなる。だからまた、もっと耕さなければならない。雑草や虫の死骸が土に戻らないから、肥料を加えなければ、痩せて行く一方だ。作物以外に植物が無いから、放っておけば虫はすべて作物に集まる。多様な虫がいないということは、天敵がいないということだ。

こういう畑を見て何かを思い出さないか。それは、針葉樹の人工林だ。ただ杉だけをひたすら植えた。いま多様性をなくした山は荒れ放題だ。

これら現象はすべてつながっている。ほしい物だけを追求して、そのほかのものをすべて無駄なものとして抹殺する。一つの問題を個別にやっつけようとして全体を壊し、十の新たな問題を作り出す。

歩けるところへも自動車を使い、階段を避けてエスカレーターに乗り、食うだけ食って、体を壊し、一方でジムに通って、ランニングマシンで走る。金を稼いでさらに金を使って、エネルギーを惜しんでエネルギーを浪費する。食いたいだけ食って、ダイエットに明け暮れる。

森が荒れた、畑が荒れた、食が荒れた、人の肉体が荒れた、人の精神が荒れた、コミュニティーが荒れた、地球が荒れた。

これらは全てつながっている。何を改めなければいけないか。すでにそれは明らかだ。

もう20世紀の延長で生きていくことは出来ない。さあ、何をあらためる?

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最終更新日 : 平成十五年十月十一日