喪われた国(一)


99/12/29

一番行ってみたい国はどこですかと問われれば、ぼくは躊躇なく日本と答える。

「アッソー、そんなにこの国が好きなんだ」などとハヤトチリしないで下さい。ぼくが行きたいのは、既に喪われた日本なのです。

十数年前ですが、二十歳前後の若い女性がある席でこんなことを言うのを聞きました。「ワタシはバナナムスメになりたい」と。

曰く、バナナは皮が黄色いが中身は白い、自分は見かけは日本人でも中身はアメリカ人になりたいのだと。

まったくバカゲタ発言ですが、考えてみればこの女性が突出しているわけではない。このヒトは多くの日本人の気持ちを率直に代弁しているだけです。(ちなみにバナナといえば英米ではナンセンスないしオオボケのシンボルだということをもちろんこのヒトは知らない。)

明治以降西洋の文化風俗は日本人を魅了し続けて来た。それはそれで構わない。どこのものであろうといいものはいい。西洋諸国に優れた文物があるのは事実です。

原産地にこだわらず良いものを認めようという態度にぼくはまったく異論を挟まない。しかし、自分が何者であるかを忘れてしまうというのは愚か者の仕業としか言えない。

大衆音楽、ファッション、その他の若者風俗にとどまらない。いい大人も洋物ブランドを追い求め、シンフォニーやオペラに酔い、娘にピアノ、バイオリンを習わせ、また自ら米会話教室に通いアメリカのお兄ちゃんやお姉ちゃんの発音を必死に模倣し、ハリウッド映画に夢中になる。映画を見てうっとりするならどうということはない。ここまでは結構なのです。

が、赤毛や金髪のかつらを付けシェークスピアからブロードウェイミュージカルまで演じてしまうとなると看過できません。日本人が大袈裟な手振りよろしく公衆の面前でおおマジメに西洋人の真似をして見せるのですよ。

それをホンモノの西洋人が見たらどう思うか、ぼくはそれを考えると他人事ながら赤面を禁じ得ない。もしあなたが、そんなに恥ずかしがる気持ちが分からないと言うのなら、こうご提案したい。アメリカ人やイギリス人が「八百屋お七」や「男はつらいよ、寅次郎夢枕」など演じる姿を思い浮かべてみよと。

余談だが、007シリーズの一つでショーン・コネリーが日本人の漁師に変装したのには笑ったナァ。

さて、西洋の演目を日本語で演じる日本人俳優ないし劇団が西洋人の目に恐ろしく滑稽に映るであろうことはまず疑いを容れない。滑稽ならば滑稽でもいい。が、話はそれで終わらないでしょ。

問題は、二つある。一つは、そういう日本人と西洋人のお互いに対する心理的態度です。両者間の相対的位置関係です。もう一つは、日本人自身の問題。いくら上手く真似しても決してホンモノにはなれないということ、しかも自分の中にあったホンモノが失われてしまうということ。つまり自分自身の存在価値が良くてゼロ、どうかするとマイナスになってしまうということです。
(つづく)

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最終更新日 : 平成十五年二月二十日