喪われた国(二)


00/01/04

西洋人は、日本を含むアジア、アフリカ等非西洋の人々が自分達の生活様式を模倣する姿を見慣れている。それで、無意識のうちに、自分達の他民族に対する優位性を感じながら生きているのです。これは避け得ない。

避け得ないというのは、まず、西洋式生活様式が世界の標準となっていることを今更直しようがないということ、さらに、その現状を日々目の当たりにしている西洋人が無意識に優越感を持つことも人情としてやむを得ないということです。

つまりわれわれ非西洋人は、好むと好まざるとにかかわらず、そこまでは受け入れざるを得ない。

しかし、いや、だからこそ、そこから先は気を付けなければならないのです。

すなわち、われわれは、この西洋文明を基底とした生活のただ中で、意識的に自国の文化的伝統を大切にして行かなければならない。それを自分で常に確認し、また、西洋人にその姿を示さなければいけない。そうしないと、他国の人たちから軽蔑され(前述問題の第一)、自分を見失う(前述問題の第二)。

では、自国の文化的伝統を大切にとは、もう少し具体的にどうせよというのか。

いろいろあります。

まず、文化的教養を身に付けようとするなら、日本の伝統的学問芸能を優先すること。先の例でいえば、ピアノ、バイオリンは、琴、三味線を経験した後にする。

ワインの味がどうのこうのと言いたければ、日本酒について一通りの知識を習得してからにする。

野球やテニスの前に剣道、柔道、 合氣道。フラワーアレンジメントではなく華道、サッカーの前に蹴鞠、フラメンコよりまず日舞だ!!

やはり、学校教育が何より肝心でしょう。体育、音楽のカリキュラムは全面的に改変すべきです。そして、それは実際可能です。

きっとこれを読む人のほとんどは、ぼくがふざけているのだと思っているでしょう。あるいは、偏執狂かとんでもない国粋主義者かと疑う人もいるかもしれない。それが普通です。ぼくはかなりヘンなことを言っている。それはよく自覚しています。

先日、学生時代の友人達と忘年会をやった。年に何回か集まる連中です。この席で、かなり酔いがまわってきてから、上の持論を展開したところ、やはり相手にされなかった。何を馬鹿言っているのだと笑われました。一人も支持者がいなかった。


(つづく)
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最終更新日 : 平成十五年二月二十日