01/08/28
文化とは様式の一貫性であり継続性です。今、とぎれた日本文化の糸の端を探り当てようとすれば、江戸時代まで遡れば事足りる。何も、縄文のおおもとまで立ち返ることはありません。
どこの国の文化でも、周辺地域の文化と互いに影響し合って徐々に変化していくものです。変化したから本物の文化ではないなどというばかげた説を唱える必要はない。変化することではなく、その変化の様子が問題なのです。
絶えず寄せくる異文化の波に洗われながら、時間をかけてこれを取捨選択し、次第に吸収、消化して、ついには自分の文化として凝着させる。こういう過程はその固有の文化を堕落させるものでは決して無く、切磋琢磨していくものです。どの地域の文化もそのようにして自らを洗練してきたに違いないのです。
一方、継続性を放棄した変化は洗練たり得ない。それどころか、文化たり得ないのだ。
だからぼくはとりあえず江戸時代にこだわる。自分の文化を見失ったぼくたちが、本当に息絶える前にとりあえず立ち返る最後のベースキャンプとして、江戸時代にこだわりたいのです。
ついぼくの祖父の時代まで、まだまだ江戸文化は活き活きと存続していました。今は日々の生活の中にほとんどその痕跡を見ることが出来ない。ただ、毎日とぎれることのない食事という営みのおかげで、さすがに食文化には脈々と日本文化が引き継がれているばかりです。
余談ですが、あの有名な江戸川乱歩の明智小五郎シリーズの第一作、『D坂の殺人事件』で、明智小五郎がどんな服装で登場するか、知っていますか。
「そのとき、先ほどちょっと名まえの出た明智小五郎が、いつもの荒い棒じまのゆかたを着て、変に肩を振る歩き方で、窓の外を通りかかった。」
そう、名探偵明智小五郎は、若い頃、夏には「いつも」ゆかたで生活していたのです。
明治維新は劇的に日本人の生活様式を変えてしまった。それでも、まだ日常の至る所に江戸時代の文物は息づいていた。日本文化の断裂を決定的にしたのは太平洋戦争だ。敗戦の屈辱の中で、あるいは意識的に、あるいは無意識に、日本人の多くが自分たちの文化からの決別を願ったのです。これがぼくたち日本人の心棒をぼろぼろにしたのに違いない。それ以来日本人は卑屈になったのだ。
臭いものには蓋。長いものには巻かれろ。赤信号みんなで渡れば云々。こんなものは日本古来の精神的特徴でも何でもない。義を見てなさざるは勇なきなり。千万人といえども我往かん。という倫理が、少なくとも江戸の武士には当たり前のこととして堅持されていたのです。
もう、卑しい日本人を演じるのはやめにしましょう。堂々と自分の文化に誇りを持って生きましょう。日本文化を大切にし、実生活の中で楽しみ育んでいきましょう。
幸い、日本文化は、膨大な量のすばらしい文物と知恵に満ち溢れているのですから。
(おわり)
最終更新日 : 平成十五年二月二十日