今夜の「ビフォーアフター」は築300年の古民家の再生だった。ビデオに撮った。
家主のおばあちゃんは、こんな住みにくい家もうたくさんだ、萱は全部落としてくれと言う。担当の「匠」も「光の魔術師」とかでよくある新奇趣味の建築家かと心配された。
ところが「匠」はいい仕事をした。ハイライトは屋根だ。彼はもとの茅葺の意匠を最大限生かした。伝統の建築文化に対する彼の尊敬の念が感じられてほっとした。やはり、もとの家の特に茅葺の屋根を実際に見て、その威容に圧倒されたのではないか。
いや、私の評価は「ほっとした」にとどまらない。今回の匠の屋根の処理は今後の民家再生に大きな影響を残すと思う。それほどすばらしい。
古民家再生において、茅葺の屋根の処理はいつでも最大の難問である。そのまま茅葺で行くか、トタンなど金属板でもとの形を残すか、瓦やスレートに直すか、金属板でとんでもない形に変えるかのいずれかであった。
茅葺のままでいければ一番いい。が、その場合の最大の問題はメインテナンスだ。今は、萱職人が少なく、材料を生産する茅場も少なく、かつて葺き替え作業に動員された村の相互労働提供組合「結(ゆい)」も崩壊してしまったため、大変なコストがかかる。また、いろりで燻すことも無くなったため、虫食いや腐りなどの傷みが早い。昔は50年以上持つといわれた茅葺も今では20年以内に吹き替えが必要のようだ。
で、他の選択肢だが、形だけ残してもペンキで塗った金属板葺きではもとの風格に到底及ばない。率直に言えば見るからに安っぽい。瓦やスレートでは、普通の家になってしまう。もとの神々しさの名残は微塵も残らない。「とんでもない形」は論外だ。
今回の匠、大塚正彦建築士の採った方法は、最下層のすすで燻された萱を残し、大部分を金属板でもとの形に添って覆い、ただし軒の周りだけを本物の萱で葺き替えるというものだった。
いわば第一選択肢と第二選択肢の折衷ということだが、出来上がったものは単なる「折衷」ではなかった。新しい美しさが創造されたと言っていい。萱を屋根の周囲に残すという方法がいわばコロンブスの卵で、意外にそれだけでもとの茅葺の美しさをとどめることが出来たということがあるが、成功を見た最大のポイントは、ガルバリューム鋼板の質感と色にあったと思う。
それはもとの銀色のまま使われた。緑でも朱でも黒でもない。ペンキ塗装の安っぽさが無い。白銀に輝く屋根、その周りの生きた萱の軒。萱の代替材を使った茅葺再生屋根に初めて精神性が表現されたと思う。
日本の茅葺屋根が本来持つ、一種神聖な趣きを違った形で表現することに初めて成功した例と言っていいのではないか。しかも新しい。
出来上がった姿を仰ぎ見て、その道58年という茅葺職人がうかべたうれしそうな表情が印象に残った。
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最終更新日 : 平成十五年十月二十一日